このページは近未来のフィクションです。実在の団体名等が出てきますが、無関係です。

幻影の障壁 ―芦屋事件―

1

 早朝、芦屋川沿いの高級住宅地の一角に、女性の絶叫が木霊した。その視線の先には、女の夫が目を虚ろに開いたまま頭から血を流して倒れていた。

 

 兵庫県警の仁方広警部と吉松真幸警部補が現場に到着すると、既に鑑識が証拠品の採取を始めていた。鑑識の浅野安善は仁方を認めると、徐に近づき、

「警部、どうやらこれ、殺人事件じゃなさそうなんですよ」

と漏らした。

「どういうことだ?」

仁方が不思議がるのも当然である。現にここで人が一人、頭から血を流して死んでいるのである。常識的に考えれば、これは殺人事件であろう。だが、

「これを見てください」

と言って浅野が取り出したビデオには、この家のガードマンロボットが白い手袋を真っ赤に染めて外に向かう姿が映し出されていたのだ。

「これはこの家の玄関にある防犯カメラの映像です。このロボットが被害者を殺害したものと思われます」

「そんなアホな」

二人の反応は無理もない。しかし、現にこうして血まみれのロボットが逃走する様子が映像として残っているのだ。はじめから決め付けてかかるのは良くないとは分かっていたが、二人は、ひとまず容疑者の一人であるロボットの足取りを調査するため、現場を後にした。

 

 二人が聞き込みを始めるとすぐに、芦屋川沿いの複数の住人から、「ロボットは川沿いに海の方に向かっていった」との証言が得られた。やはり、血まみれのロボットが町を歩く姿は印象に残っているようだった。

 そして、芦屋川を下って山手幹線のトンネルを越えた頃、川の縁に、金属製の頭部を陽光に輝かせるロボットが横たわっているのが発見された。それは茶褐色に染まった手袋をしたガードマンであった。

 

 ロボットを証拠品として回収し、血液とプログラムの調査を依頼した二人は、別の部屋で捜査会議を開いた。

「被害者は田尾寺二郎、67歳。職業はファンドマネージャーです。芦屋の住宅街の中でも一際大きな屋敷を構えていて、また周囲から羨まれるおしどり夫婦だったそうです」

「被害者を殺害したと思われるロボットですが、ココ口製の最新型で、型番はGMR725です。最近購入し、昨日届いたばかりだったそうです」

など、各捜査員は自分達が集めて来た情報を報告した。まあ、このようなロボットの暴走においては、プログラムを調べた後、欠陥があれば製造業者を調べることになっているから、これらの情報は補完でしかないのだが。この件において捜査会議とは名ばかりの代物である。

2

 翌朝、吉松が署に来ると、仁方は少々険しい表情をして、黙って何か考え込んでいる様子だった。

「どうしたんですか、警部?」

「ああ。どうも引っかかるんだよ。ただのプログラムの欠陥なり本体の不具合なりで、ロボットが人を殺して逃走までするもんかね」

「プログラムって一行無いだけでも無限ループに陥ったり、想像を絶する狂いっぷりを見せますからねえ」

「おれにはどうもそうじゃない気がするんだよ」

「警部は人が操ったとでもおっしゃるんですか?」

「そうでもしないと、逃走なんて理性的な行動は取れないと思うんだ。狂ったプログラムなら、例え偶然拳が被害者に当たって死なせてしまったとしても、そのままその場で狂っているのがオチだとは思わないかい」

「まあ、そうですけど、今のロボットって遠隔操作できましたっけ?」

「ちょっと鑑識に聞いてくるか」

二人は鑑識を訪ねた。

「浅野君、このロボットは遠隔操作可能かね?」

「できないと思いますよ。このロボットはアンテナが付いていないですから、仮に何らかの電波の受信装置があったとしても、あれだけの滑らかな動きをさせるだけの情報を送るのは無理ですね」

その答えは仁方を落胆させた。

「やっぱり警部の考え過ぎですよ。あれはロボットの欠陥による事故なんです」

「そうかなあ」

仁方はまだ腑に落ちないといった表情で首を捻った。

3

 「警部、出ました。血液のDNA、被害者のものと一致しました」

浅野が嬉しそうに二人の元に駆けてきたのは、その日の午後のことだった。

「警部、これでロボットの犯行の線で間違いないですね」

吉松も、もう事件が解決したかのような嬉々とした口調で話しかける。しかし、仁方の表情は曇ったままだった。

「どうしたんですか、警部?」

吉松は不思議そうに聞いた。

「これで益々分からなくなったんだ。おれは昨日ロボットが遠隔操作できないと聞いてから、もしやこのロボットは事件に関係ないんじゃないかとすら思った。その場合は手袋の血が被害者以外のものでなければならない。だが、その血は被害者のものだと分かった。そうすると、やはりこのロボットの犯行だと言わざるを得ない。だが遠隔操作はできない。それで昨日の疑問にまた戻ってしまうわけだよ。果たして誤作動だけであそこまで人間的な行動が取れるか、っていうね」

「まあ、プログラムの調査結果が出てからまた考えましょうよ」

吉松は仁方を慰めた。

4

 事件から一週間が過ぎたその日、仁方は新聞を片手にコーヒーを啜りながら、相変わらず考え事をしていた。そこへ、プログラム調査班の一人が、困った様子で訪ねてきた。

「大変です、警部。どういう訳か、プログラムに欠陥が見当たらないんですよ」

「何だって?じゃあプログラムのミスによる暴走じゃないということか」

「ええ。信じられませんが。それに、本体の方も特に異常はありませんでしたので、もう何が何だか…」

「中に人でも入ってたんじゃないか」

もう仁方にも俄かには理解し難い事態になって、冗談交じりに言った。

「まさかぁ」

プログラム調査班もただ笑うしかなかった。

しかし、その遣り取りを傍で聞いていた吉松が寄って来ると、その表情は好奇心から驚きへと変わった。

「ん」

「どうした?」

「これ、見てください」

吉松が指差した先には、仁方が広げていた新聞の隅に載っている記事の見出しがあった。

特集 身体完全同一性障害と義体化” “あえて機械的義体を求める者たち?」

そこには、身体完全同一性障害の患者に対して積極的義体化を行う医師、桑名益生が載っていた。

「機械的な義体ってOKでしたっけ?ロボット外観規制法でロボットの外観は、人体と一目で区別がつくものにしなければならないって…。ああ、そうか。逆は書いてないのか!」

「そうか。じゃあ中に人が入ってたというのも、強ちあり得ない話じゃないな」

「あれが義体だったということですね」

「だが、どうやって生体部分を取り出したかが問題だな」

「それこそあのロボットは事件に関係ないんじゃないですか?どこかで、川で発見されたロボットとすり替えてしまえばいいんです」

「服だけ着せ替えるということか」

「ええ」

「じゃあまずはその桑名とかいう医者に会いに行こうじゃないか」

5

 地下鉄大倉山から歩いてすぐ、ネ申大病院の義体科に桑名医師はいた。仁方と吉松が警察手帳を見せると、桑名は驚いた様子で、

「警察の方がどういったご用件で」

と言った。平静を装ってはいるが、どこかに、自分がグレーゾーンにいるという後ろめたい気持ちがあるのだろう。少し顔を強張らせた。

「いえ、今日は積極的義体化の件ではなくて、人を探してここに来たんです」

仁方がそう言うと、桑名は安堵したと見えて、

「それでしたら、患者さんの個人情報を漏らす訳にはいきませんので、ご協力できるかどうか」

と、急に態度を改めた。

「では、これだけは聞かせてください。あなたがこれまで手術した方々の中で、人体のフォルムとかけ離れた外観のロボットに義体化した人は、いましたか」

仁方が聞くと、桑名は暫く黙ってしまった。

「だめですか?」

吉松が回答を迫ると、

「一人いました」

と答えた。

「ココ口製のガードマンロボットではありませんか?」

と仁方が尋ねると、桑名の目が若干泳いだ。

仁方は続けた。

「その方のお名前なんかをお伺いすることは…」

「できません」

桑名は即答した。

これ以上は聞き出せないと見た二人は、礼を言って桑名の部屋を後にした。

 「警部、あの顔は、ガードマンに義体化した奴がいるって言っているようなものでしたね」

「ああ。ガードマンの中に入っている人間が一人いると分かっただけでも大きな収穫だよ」

二人は次に義体科の病室に向かった。

 

 元あった病院に取ってつけたような第三病棟は、周囲から浮くほど真新しい渡り廊下を渡った先にあった。ここが義体科の病棟である。仁方と吉松の二人は、この病棟に入院している患者のうち、入院歴の長い者を中心に聞き込みを行うことにした。極めて非人間的な姿になった者がこの病院にいたのだから、入院歴の長い患者なら、きっと何か手がかりになるようなことを覚えているはずだ、と考えたのだ。

 案の定だった。ガードマンの隣の病室に入院している患者から、「甲子園が近くて、よく親父に連れて行ってもらった」と語っていた、との証言が得られたのだ。その患者曰く、中古の義体に入っていた時はかなり饒舌だったのに、換装直前くらいになって急に寡黙になったとのことだった。

 「警部、奴って、そのなんちゃら障害じゃなくて、事故か何かで義体化したっていうことですかね」

「そのようだな」

「じゃあ、署に帰って調べれば、事故の記録なんかが残っているかもしれませんね」

「行ってみるか」

6

 「警部、これじゃないですか?」

署に戻って過去の事故の記録を片っ端から当たっていた吉松は、西宮署管内で起きたある交通事故の記録を指して言った。

…西宮市本町の西宮本町交差点で、東から西に直進していた乗用車と、西から南に右折しようとしたトラックが衝突し、乗用車を運転していた井関一志さんが意識不明の重体、トラックを運転していた石才清児さんも足を骨折する重傷を負った…。これのことかい?」

「ええ。それ以外に、義体化を余儀なくされるような事故って無いんですよ」

「現住所は西宮市上鳴尾町4か…」

その時だった。机の上に置いた仁方の携帯が、机全体を震わせて鋭い音で鳴り響いた。芦屋署の刑事の一人、八木崎豊春からの着信だった。

「はい仁方」

「警部、ガードマンロボットの姿をした人物が、今ネ申大病院に運び込まれました」

「何だって!」

「義体は損傷が酷く、動くのもままならない状態です」

仁方は少し間をおいてから、

「義体ということは、今すぐ手術しなくても命には全く問題ないよな」

と尋ねた。

「恐らくそうだと思います。生命維持装置が無事かどうかが唯一の問題ですが、見たところ損傷は下半身中心なので、大丈夫でしょう」

「任意同行かけてくれるか」

「え?」

「もちろん実際に連れてくるのは換装した後でいい」

「しかし…」

「今しかないだろう。もし拒否したら、換装が終わるまでに令状持ってそっちに行く」

「…わかりました」

「それと、そのロボットの義体は証拠品として押収するから、その手続きもしておくよ」

 

 「井関一志さん、」

八木崎が話しかけると、ロボットは一瞬ぴくりと反応を見せた。

「芦屋市で起きた殺人事件についてお聞きしたい事があります。署までご同行願えませんか」

ロボットは躊躇う素振りを見せた。

「もしあなたが任意同行に応じられなかったとしても、あなたの身元は判明していますので、逮捕状を取ることが可能です。拒否しても無駄ですよ」

八木崎はそう付け加えたが、ロボットは任意同行に応じる気はないようだった。

「それでは逮捕状を請求して来ますので、またお会いしましょう」

八木崎は別れの言葉を吐き捨ててロボットを手術室に送り出した。

7

 その後、逮捕状が下り、ロボットから換装された井関は連行されたが、彼は一貫して容疑を否認した。

「困りましたねえ、警部」

その様子を外から見ていた吉松が仁方に言った。

「ああ」

「あのガードマンロボットに換装したことがあるのは日本で彼唯一人。その時点で言い逃れはできない気がするのですがね」

「しかし決定的な証拠を見つけないと有罪には持ち込めないからなあ」

「早くロボットの鑑定結果が出るといいですね」

吉松は、押収された後鑑識に回されたロボット本体に証拠が眠っていることを願って言った。

「そうだな」

二人は取調室の窓の前から去った。

8

 翌日、朝一番に浅野が飛んできた。

「警部、ありました、血痕が!DNA型も被害者の物と一致しました!」

それは、ロボットの腕部分の継ぎ目の僅かな隙間に付着していたものだった。恐らく丹念に拭き取ったが継ぎ目の内部までは手が回らなかったのだろう。

 そして、決定的証拠を突き付けられた井関は遂に観念し、犯行の一部始終を語り始めた。

――おれは田尾寺に投資話を持ち掛けられ、奴に依頼したんだ。だが奴は失敗し、結果的におれは5億の損害を被った。おかげでおれの会社は倒産。恨んださ。恨んでも恨みきれない位に恨んだ。

 それから5年が経ったある日だ。おれは事故を起こして全身義体化を余儀なくされた。それはさらなる絶望であるとともに一筋の希望でもあったんだ。おれには妙案が思い浮かんだ。そしてこの間それを実行に移したんだ。

 おれは中古義体から専用義体に換装する時に、態とカードマンロボットに換装してくれと頼んだ。それも、奴が最近買ったというココ口の最新型だ。そして運送業者の友人に頼んで、奴の家にそいつが届けられる時におれが入れ替われるようにしてもらったんだ。そしておれは奴の家に潜り込んだ。一応ガードマンという特性上、身体は頑丈にできているから、奴一人をなぐり殺すのなんか簡単だったぜ。それからおれは、態と玄関の防犯カメラに映るように屋敷を出て、川沿いに逃げた。山幹にその運送業者の小さな車庫があるから、そのままそこに駆け込んだ。おれの身体はよく拭いたつもりだったが、体勢によって隙間ができるとは、盲点だったよ。そこにもう一台同じロボットを用意してあって、まずおれが友人を襲う素振りを見せる。するとそのロボットは、ロボット工学三原則第一条に基づいて、友人を守るためにおれを攻撃する。ガードマンロボットは犯人を生け捕りにする為に、大抵の物が敢えて急所の多い上半身ではなく下半身を狙って動きを封じるようにできているから、おれの下半身は滅茶苦茶だったという訳だ。それでおれの生命維持装置も攻撃されずに済むしな。そうすると、おれは義体法の濫りな換装を禁ずる条文に触れずに、人間らしい義体に換装することができるようになる。あとは、友人が、俺を攻撃したもう一台の方のロボットに、おれがさっきまで着ていた血の付いたガードマンの制服を着せて、川に投げ捨てれば全て終わりだ。

 これがおれのやったことだ。おれはもう全部話したぞ――

 その後、井関の自供を基に捜査が行われ、グルだった運送業者も逮捕された。

 

 「殺人犯を褒める訳ではないですが、井関という男は頭が良いですね」

吉松はコーヒーを啜りながら仁方に話しかけた。

「どうしてだい」

「奴は殺人以外の罪は全く犯してないんですよ。なんだか、上手い嘘つきは核心部分だけ嘘をついて他は本当の事を言うみたいな印象を受けるんです」

「だがその頭を殺人に使うのは感心せんな」

「そうですね」

西に芦屋川のある芦屋署には、夕日が何にも遮られずに煌々と差し込んで来る。オレンジに照らされた白いカップを片手に、二人は事件解決をささやかに祝った。

2013/02/27

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