このページは近未来のフィクションです。実在の団体名等が出てきますが、無関係です。

高角舟

 義體は體を失つた者の腦が乘る小舟である。恆保時代に人間の身體が蝕まれると、本人の腦が外に取り出されて、義體化手術を受けることを許された。それから腦は義體に載せられて、新たな人生を歩むのであつた。その中に同乘するのは、導線と神經の媒をするインタープリタで、此インタープリタは腦の無理難題を受け止めねばならぬのが慣例であつた。これは我々の望んだ事ではないが、所謂諦めるのであった、觀念であつた。

 當時義體化手術を受けた人間は、勿論身體が使用不能に陷つた人ではあるが、決してALSや筋ジストロフィーのために、身體が徐々に硬直していき覺悟を決めて手術を受けたと云ふやうな人物が多數を占めてゐたわけではない。義體に乘る人間の過半は、所謂事故のために、想はぬ義體化を餘儀なくされた人であつた。有り觸れた例を擧げて見れば、當時交通事故と云ふものに遭つて、身體は酷く損傷して、腦だけ活き殘つた者と云ふやうな類である。

 さう云ふ腦を載せて、各機器との接續を終へた義體は、病院でのリハビリを經て、退院し、日常生活を送るのであつた。此義體の中で、腦は始終「物を喰つても味がしない」「匂ひが分からぬ」などと不平を漏らす。いつもいつも願つても叶はぬ繰言である。命令變換の役をするインタープリタは、直にそれを聞いて、コンピュータであるにも關はらず人間の腦と格鬪せねばならぬ自らの悲慘な境遇を細かに知ることが出來た。所詮神戸のポートアイランドのスパコン「垓」で、圓周率の計算をしたり、N1NTEND0のゲーム機の中で、コマンドを讀んだりするコンピュータの夢にも窺ふことの出來ぬ境遇である。

 人間の腦にも、種々の性質があるから、此義體を只鬱陶しいと思つて、自らの義體や物に苛立ちをぶつけたく思ふ血の氣の多き腦があるかと思へば、又しみじみと自らの哀れを身に引き受けて、涙腺なきゆゑ涙には見せぬながら、無言の中に私かに胸を痛める腦もあつた。場合によつて人間らしさの少ない非常に機械的な義體に、特に心弱い腦が載ることになると、その腦は自殺の衝動を禁じ得ず、同乘するインタープリタは破損の危險を恐れるのであつた。

 そこで義體のインタープリタは、まだ製品に組み込まれていないコンピュータ仲間で、不快な職務として嫌はれていた。

2012/10/13

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