このページは近未来のフィクションです。実在の団体名等が出てきますが、無関係です。

義体開発史

軍事用ロボットの開発

 中国との緊張状態が長期化し、米中の対立の狭間で自国の防衛を迫られる中、智徳元年、防衛省は産捴研の協力を得て、軍事用ロボットの開発を極秘裏に開始した。このロボットは人型の人造歩兵である。制御の際は、コントローラーでコマンドを入力するのではなく、非侵襲型の装置で脳波を読み取って操作する。初号機の可動部は手足くらいだったが、それでもやはり脳波を解析してロボットへのコマンドに変換するのは難しい。しかし、そこは国家主導のプロジェクト、潤沢な研究費と豊富な研究器具によって技術は着々と進歩し、智徳12年に完成する。関連技術は、主に産捴研の所有である。これらの製造は、全国のロボットメーカーに委託される。製造法は、産捴研が各社に手取り足取り教える。これは、民間船しか造ったことのない造船所に軍艦の製造法を丁寧に教えた旧日本海軍のようなものか。

 この時、ココ口(羽村市)の軍事参入に反対した一部の技術者たちが会社と決別し、当時電気自動車の台頭でトヨタピラミッドが崩壊し、類稀なる技術を持った中小企業が職にあぶれていた愛知県に、ベンチャー企業「名古屋電工」を立ち上げている。

2012/10/17

医療への転用

 この軍事用ロボットのブレイン・マシン・インタフェースの技術と、アンドロイドを組み合わせて、身体を酷く損傷した人の人工身体に利用できないかと考えられるようになった。つまり、失った四肢を補う義肢の延長として、身体全体を人工物で補う「義体」を作ろうということである。折しも智徳10年代後半、食糧難にあえぐ世界各国が次々と食糧の輸出規制を始めており、納税はしてくれるが食事はしない義体者というのは、日本国政府にとって願ってもない存在だった。政府は義体開発に出資を惜しまず、義体研究をしていれば民間企業にも多額の援助をした。このため、当時アンドロイドの製造技術に長けていた「ココ口(羽村市)」、「名古屋電工(名古屋)(いずれも出自はココ口。)を核として、国内の大手企業が次々と義体開発に参加し、驚くべきスピードで技術が進歩した。名古屋電工は、関西圏の企業である、亰セラ、鳥津製作所、ジ一工ス・ユアサ・コ一ポレ一ション、二プ口や、アンドロイドサイエンスを掲げる大坂大学、受動歩行ロボットの技術を持つ名古屋エ業大学と共同で義体開発を進め、西日本を中心にシェアを拡大している。一方、ココ口は自前のアンドロイド製造技術に、テノレモの医療技術やホソダのAS1M0の歩行技術などの他社の技術を取り入れることで、主に関東地方で支持を集めている。義体開発の参加企業が増えたために、政府の援助額は膨れ上がり、遂にiPS細胞研究への援助額を超えた。結果、再生医療よりブレイン・マシン・インタフェースの発展が促進されることになった。

2012/12/09

不気味の谷との闘い

 このように、東西の2社を中心に義体開発が始まった。ここで大きな問題となったのは、「不気味の谷」である。義体のハードとしてアンドロイドが使用されるが、アンドロイドを人間に似せれば似せるほど、人間とのわずかな違いが目につき、それを見る人が拒絶反応を示してしまうのである。この時代になると、アンドロイドの外観自体はほぼ人間同然であったが、どうしても動作がぎこちなく、そのために不気味さを覚えると考えられた。

 不気味の谷の克服のために、名古屋電工とココ口の二社はともに、義体用アンドロイドの動作パターンを有限個用意し、神経の電気信号が命じる体の動きに最も近いものを実行するという方法を取った。これは、軍事用ロボットの動作の原理と同じである。課題は、メモリに記憶させる動作パターンをいかに人間に近づけるか、動作パターンをどれだけ豊かにできるか、どの電気信号を受け取ったときにどの動作パターンを実行したらよいのか、の三つであった。

 まず、動作パターンを人間の動作に近づけるために、二社は、人間の膨大なパターンの動作をモーションキャプチャで読み取り、それと同じ動きをできるよう、アンドロイドの動作機構を改良した。このとき、基準点は骨格ではなく皮膚表面に置き、アンドロイドの皮膚表面の動きを以て、動作が「同じ」かどうかを判定した。また、この方法に用いるメモリには、平成の人間には想像を絶する容量が必要であるが、コンピュータの目覚ましい発展がそれを可能にした。

 次に、動作パターンを増やすために、ココ口は、発声機構の出力を標準語のみに絞ることによって、発声に費やす容量を大幅に削減し、その分を身体動作に充てて対処した。一方、東海以西を地盤とする名古屋電工は、関西弁を話せないと義体使用者が社会に溶け込むことが困難になるため、そのような処理は行わず、口まわりの動作に対する電気信号を読み取ってそのまま口まわりの動きとして出力する方式を採用している。

 二社を苦しめたのは、最後の、どの電気信号を受け取ったときにどの動作パターンを実行したらよいのか、という問題であった。義体開発開始当時、頸椎部分の神経に横から読み取り装置を接続することによって、どの電気信号がどの体の部位を司っているのか、大まかな情報は得られていた。しかし、動作パターンを細分化した今、大まかな情報だけでは、脳が具体的に手のどの指のどの関節を何度曲げようとしているのか、といったことはわからず、義体の動作に反映することができなかった。そのため、頸椎部分の神経の横から電気信号を読み取るのではなく、神経を切断して、その切り口に読み取り装置を直に接続することによって、より強い信号を得る必要があった。

 ここで、二社はともに黒歴史を抱えることになる。名古屋電工は開発者の肉親を(通仙散計画)、ココ口は東京拘置所の死刑囚を使って、この人体実験を行ったのだ。ココ口に至っては、死刑囚が発狂したり、犯罪に走ったりしないよう、脳に電磁波を当てることで感情を制御していたという。このおぞましい実験の存在は、一般には明らかにされておらず、もしどこからか漏れたとしても、義体者を増やしたい日本国政府の思惑で、もみ消されるだろう。この実験によって、開発開始から10年という驚異的なスピードで義体は完成した。

2012/12/09

名古屋電工の不気味の谷克服プロジェクト「通仙散計画」

 智徳10年代後半、義体の開発が始まると、名古屋電工は不気味の谷という難題に直面した。そこで、義体を実際に人間の神経の電気信号で動かし、人間の意図した動きに徐々に近づけていくという方法が考えられた。しかし、神経に横からセンサを取り付けただけでは、数多ある義体の動作パターンのどれを実行すればよいのか判断できないほどの微弱な信号しか読み取れなかったため、被験者一人を脳だけにして、神経の束に正面からセンサを取り付けて信号を読み取る方法に変更された。これが「通仙散計画」である。もし、神経に横から触れたセンサだけで十分な信号が読み取れたなら、その方が人間と義体が同時に動いてくれて、両者の動作を比較しながら動作機構を改良していくという方法が取れただろう。だが、被験者の肉体が全くなくなった状態では、全ては被験者の証言との照らし合わせとなり、開発の進行は遅くなるのは明らかだった。何より、研究員の誰も、こんな非人道的な実験などやりたくなかった。

 なお、このときの「被験者の一人」というのが、坂戸研究員の年の離れた妹で、当時ALSを発症していた坂戸若葉である。智徳年間でも、ALSは治療法のない難病であった。

 主に、意志と動作をすり合わせる実験は午前に、その結果を受けた義体の改良は午後に行われた。そのため、若葉は同時期に2つの義体を使っていた。当初は、午前の実験に緑一色のCord01を、午後の生活にHRP13を使っていたが、Cordに新しい型ができると、午後生活するための義体は、午前実験用に使っていた義体より一つ型の古いものになった。

ココ口が分裂する際、HRP系列は名古屋電工、DER系列はココ口に引き継がれた。

2013/01/13

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