このページは近未来のフィクションです。実在の団体名等が出てきますが、無関係です。

若葉

恒保2年

・下府久代

 「しもちゃん、忙しいところ悪いんだけど、ちょっと私をCord07に換装してくれない?」

坂戸若葉のその言葉は意外だった。彼女はかの通仙散計画を終えて汎用義体に換装したはずだった。それなのに、敢えて昔の機械的な義体に戻ろうとする意図がわからなかった。

「なんでまた」

そうきかずにはいられなかった。

「だって、そこの奥の部屋にCord08の娘がいるんでしょ?私会いたい」

確かに、Cord07に換装するのは簡単だ。今の義体の項の部分に、アンテナからのびるコードを繋げば、Cord07は操縦できる。だが、今の三岡さんの精神状態で、面会ができるかどうかは大いに疑問だった。まして、自分と同じロボットみたいな義体が動いているのを見たら、きっと自分の今の義体に対しても嫌悪感を抱くに違いない。

「だ~め。せめてCord07で行くのはやめて」

「何でよ」

彼女は膨れている。

「だめなものはだめです」

「え~。じゃあまた来る」

彼女の返事が存外にそっけなくて驚いた。もっと駄々をこねると思ったのだが。まあいい。今日もこの後、換装手術が立て続けに5件入っているから、彼女にかまっている暇は、正直いって無い。彼女は部屋を後にした。

・坂戸若葉

 本当はしもちゃん公認の方がよかったけど、しょうがない。こうなったら一人で換装して、その美里ちゃんとかいう娘に会いに行こう。しかし、しもちゃんを騙すのは思ったより簡単だったな。途中で方針転換してよかった。やっぱりセントレアの件で予定が分刻みなのが、思考能力に響いているのかな?

 私は義体科の少し入り組んだ場所にある倉庫を探っていた。ここにこの病院が持っている義体がすべてしまってあるはずだ。現在の汎用義体をしまってあるはずの広いスペースは空になっていて、あのセントレアの事故がどれだけの人の肉体を奪ったかを物語っている。そして、その奥の、一部義体化用の手足の入った箱を越えると、ようやく、Cordシリーズの隊列がお目見えした。今美里ちゃんが使っているCord08はここにはないが、Cord01からCord08までの8体は、みんな私の体だったもの。去年まで10年間使ってきた緑一色のボディが、どこか懐かしくもあった。

 いけない。感慨に浸っている場合ではない。いくら忙しいとはいえ、しもちゃんに見つからないとも限らない。私は、まず、Cordシリーズの傍らにあった発電機を台車に乗せて、それをCord07に繋ぎ、電工の名古屋研究所にいた時代にもらった特製のアンテナ付きコード「アンテナ07」を自分にさした。「アンテナ07」から出る電波はCord07の周波数に合わせてあるから、このコードがあれば、しもちゃんの部屋にあるのを使わなくても、このアンテナから直接Cord07を操作できるはずだ。

 予想通りだった。自分の手が首の後ろに回った数秒後、私はさっきまでの自分の体を見る位置に立っていた。私は台車を押しながら義体科の一番奥の病室に向かった。

・三岡美里

 昼間からうとうとしていた私は、扉をノックする音で目が覚めた。まだ、「どうぞ」とも言っていないうちから扉が開き始めたのには驚いたが、その向こうに現れた影に対する驚きには勝るはずもなかった。そこには、私の今の体と同じような、緑一色のロボットが立っていたからだ。

 「あなたが美里ちゃんね」

いきなり知らないロボットに下の名前で呼ばれる筋合いはない。私は怪しいといった目でにその機械を凝視した。しかし、次の言葉が私のそのロボットに対する見方を真逆に変えた。

「もう、そんな不審者を見るような目で見ないでよ。あなたなら私が人間だってわかってくれるでしょ?」

まさか、私の他にもう一人、こんな非人道的な手術を受けた人がいるのか、と衝撃を受けた。と同時に、彼女に非常な親近感を覚えた。

「お名前は、なんていうんですか?」

「私、坂戸若葉。あなたは三岡美里さんよね。しもちゃんから聞いたわ」

「しもちゃんって、あの下府さんのことですか?」

「そうよ。通仙散のころから知り合いだから」

そうか、下府さんって「しもちゃん」って呼ばれているんだ。天才によくある、何考えているかよくわからない人だけど、「しもちゃん」っていうとなんかかわいいね。私は、下府さんとしもちゃんのギャップに思わずにやっとしてしまった。それとは対照的に、坂戸さんは「しまった」というような顔をしている。

「自分で通仙散のことを口走るとは思わなかったけど、まあいいわ。実は、Cord07(これ)Cord08(それ)も、私の昔の体なの」

坂戸さんが何を言っているのか全然わからなかった。この二つの非人間的な義体を両方とも使っていたことがあるなんて、そんなことがあり得るだろうか。

「どういうことですか?」

「実は・・・」

坂戸さんは話そうとしたんだけど、突然全く動かなくなってしまったんだ。

「坂戸さん?」

呼んでみるが、返事がない。

「坂戸さん!」

もはや機械の塊と化してしまった坂戸さんに叫ぶ声は、むなしく病棟の一番奥にこだまするだけだった。

・坂戸若葉

 突然目の前が真っ暗になった。一瞬驚いて何も考えられなかったが、体の自由を奪われた原因はすぐに察しがついた。

 案の定、次に目に飛び込んできた光景は、Cordシリーズの隊列だった。まもなく、背後から、目を怒らしたしもちゃんが現れた。

「まったくどこまでも悪知恵の利くやつね。あなたにかまっている暇はないのよ」

それはこっちも同じだ。突然動作が止まってただの機械の塊になった私を見て、美里ちゃんはきっと怖がっているに違いない。早く会いに行ってあげなければならない。幸い、しもちゃんは私と相対するために、出口を塞ぐ位置からわざわざ回り込んで、出口と反対側に仁王立ちになっている。私はしもちゃんを振り切って倉庫を出ると、廊下の突き当たりを目指して全速力で走った。10年来の義体ユーザーに、しもちゃんが追い付くはずもなかった。

・三岡美里

 坂戸さんの動きが止まっている間、ある恐ろしい想像が私の脳裏をよぎった。今の私の体、Cord08が、名古屋電工の不気味の谷克服プロジェクトで使われていたのは知っている。そしてそれとよく似た坂戸さんの義体も、恐らくそうだろう。その二つを両方とも使ったことがあるということはどういうことだろうか。義体を操作するのには、神経の電気信号を読み取る必要があるが、非侵襲型では、あそこまでの表情の描写は無理だろう。つまり、坂戸さんは少なくとも神経に侵襲型の読み取り装置をつけているということだ。そして、坂戸さんが口走った「通仙散」という言葉。通仙散は、華岡青洲が日本で初めて開発した麻酔薬だ。その投薬量の実験で、実の母と妻が実験台に志願している。つまり、坂戸さんがあの不気味の谷克服プロジェクトの実験台だったと考えるのが、恐ろしいが、一番自然なのだ。私は、努めてこの考えを払拭しようとしたが、どうしても忘れることはできそうになかった。

 扉が勢いよく開いた。限界まで開いてバウンドする扉の音が耳に入ってくると同時に、20代くらいのかわいらしい女性の姿が目に飛び込んできた。

「ごめんね、いきなり止まって。しもちゃんが通信のコード抜いちゃったの」

「もしかして、さっきの坂戸さんですか?」

「あ、そうね。さっきと義体が違うものね。今の私はこっち。よろしくね」

「こちらこそ」

いつもの坂戸さんと知り合えたことは嬉しかった。だが、坂戸さんの「義体」という言葉は、さっきの恐ろしい想像に輪をかけた。私はてっきり、電工のあのプロジェクトは、生身の人間に読み取り装置だけつけてやっているものだと思っていた。だが、坂戸さんは確かに今、「義体」といった。義体法が成立してからたった一年の間に、果たしてどれだけの人が義体化しただろうか。恐らくそう膨大な人数ではあるまい。まさかその中に坂戸さんも含まれているというのか。いや、恐ろしいが、それよりも坂戸さんがあのプロジェクトのために全身義体化したと考える方が自然ではないか。その方が、「通仙散」という言葉の持つ意味が、状況を的確に表している。きっと、神経から十分な量の電気信号を読み取ろうとすると、読み取り装置を神経に直接繋ぐしかないのだろう。そうなれば自動的に首から下は死んでしまう。

「あの、さっきの話の続きなんですけど」

私は想像の真偽が知りたかった。というより、偽であってほしいと願って、そうきいた。

「ああ・・・」

坂戸さんは話そうとしたのだろうが、そのとき、下府さんが息を切らして駆け込んできた。それを見た坂戸さんは、

「それはまた二人のときにね」

といって話をやめてしまった。

「あら、二人ともやけに仲がいいのね」

「いいじゃない、ねえ、美里ちゃん」

二人の秘密を探ろうとする下府さんを、坂戸さんは王道の手でいなした。

「あ、それと、美里ちゃん私のこと苗字で呼ぶでしょ。よそよそしいじゃない。私、下の名前、若葉っていうから」

「・・・若葉さん」

「恥ずかしがっちゃって。かわいいわね」

そして別れ際、

「美里ちゃんも早く自分の義体ができるといいわね。そのときはまた来るわ」

と若葉さんはいって、下府さんに連れられて病室を後にした。

 私の嫌な想像がもし仮にあたっていたとすれば、若葉さんは恐らく日本一義体歴の長い人だろう。そうでなくても、義体を使いこなす様子を見れば、確実に私より前に義体化していることはわかる。義体運転歴の浅い若葉の私は、頼もしい先輩を得て心強かった。

2012/12/08

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