このページは近未来のフィクションです。実在の団体名等が出てきますが、無関係です。

考える葦 三

恒保2年

 「ごめんなさい、三岡さん。この間のセントレアの事故で中古の義体が出払ってしまって。三岡さん専用の義体ができるまでの間、遠隔操作型のCord08を使ってもらってもいいですか?」

 急を要する手術で専用の義体が間に合わないから、暫く病院にある中古の義体を使うことになるというのは承諾済みだった。だが、今朝、医師の下府さんが私に言ったその言葉は、単にしばらく旧型で我慢するとか、そういう類の話ではなかった。それくらい、仮にも理系の端くれである私にはわかった。Cord08は、名古屋電工で行われていた不気味の谷克服の研究の途中段階の試作機である。不気味の谷を越えきっていないものだから、胴体はわざと、人間らしさの一切ない構造むき出しの姿になっている。初めから人間には見えないようになっている。こんなものを、たとえ一瞬でも自分の身体にされるのは、本当は嫌だった。でも、私の身体だって、そんな悠長なこと言っていられるほど長くはないし、結局は下府さんの懇願の瞳に根負けするしか選択肢はなかった。

 この前、私は、脳が生きていれば人は生きている、と考えるようになった。でも、自分がそう思っているだけでは、ヒトとしては生きていても、社会的動物である人間としては死んでいるということは考えられないだろうか。普通の義体は外見も動作も人に見える。だが、Cord08は外見も動作も人には到底見えない。ただそこに人の首をつけたロボットが蠢くばかりである。このように、周囲から人と認識されなければ、「人間」とはいえないのではないだろうか。だからこそ不気味の谷の克服が求められていたのではないか。

 そうか、私はこの数週間、不気味な存在の中に身を置き、社会的に死ぬということか。臨床心理士の畠田さんが、何やら、それは違う、というような意味のことを言ってはくれたが、もはや私にはその言葉を受け入れるだけの余裕は無かった。どうしても、どこぞの政治家の言葉みたいに、詭弁学派の問いにしか聞こえなかった。一度死んでまた生き返る。そんな半死半生の曖昧な自分の存在を考えるにつけ、論理を超越したえたいの知れない不吉な塊が、私の心を再び圧えつけるようになった。

2012/11/10

ホーム>半死半生三岡美里本編 考える葦 三