このページは近未来のフィクションです。実在の団体名等が出てきますが、無関係です。

桜の肌の下には

 桜の肌の下には機械が詰まっている!

 これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の姿があんなにも見事に端正だなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の肌の下には機械が詰まっている。これは信じていいことだ。

 

 どうして俺が家へ帰ってくる道で、俺の部屋の数あるもののうちの、選りに選って隠れた醜いもの、テレビ台の裏のコードなんぞが、千里眼のように思い浮かんでくるのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。

 

 いったいどんな人でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘的な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。

 しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたのもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。

 おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の笑顔の下へ、一つ一つ機械が詰まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。

 モータ、カメラ、スピーカ、機械はみな無機質で冷たく、およそ人間的でない。それでいて計器の類は時折小さなランプをちかちかと点滅させている。桜の脳は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような神経を聚めて、その信号を読み取っている。

 何があんな顔を作り、何があんな体を作っているのか、俺は神経の読み取る電気信号が、静かな行列を作って、脳のなかへ夢のようにあがってゆくのが見えるのだ。

 ――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えて桜の姿が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。

 二三日前、俺は、京都のじいちゃん家へ行って、農園をうろついていた。ビニールハウスの中では、あちらでもこちらでも、南国の果物がたわわに実って、地面につかんばかりに頭を垂れているのが見えた。おまえも知っているとおり、これらは今や京都産のものも存在するのだ。しばらく歩いていると、俺は変なものに出喰わした。それは俺が入ってきた方とは逆の、果物の隊列が切れた、その奥だった。思いがけない大規模な装置が、その威容を誇っているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それはいくつとも数の知れない、暖房器具の集合だったのだ。絶え間なくこれらが吐き出している、息の詰まるほどの熱風が、ビニールハウスを満たして南国の気候を再現しているのだ。それが、果物たちの生きるたつきだったのだ。

 おれはそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。静止を振り切って裏を覗く変質者のような屈折した知的好奇心が満たされた。

 このビニールハウスではなにも俺をよろこばすものはない。マンゴーやパパイアも、白い日光を受けて赤い体を輝かせているドラゴンフルーツも、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には裏が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。

 ――おまえは敵意に満ちた表情をしているね。無機質な桜を想像したのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。まるでお人形さんのようだと思ってごらん。それで俺たちの憂鬱は完成するのだ。

 ああ、桜の肌の下には機械が詰まっている!

 いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない機械が、いまはまるで桜の姿と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。

 今こそ俺は、あの桜の方をちらちら見ているクラスメートたちと同じ権利で、桜の美貌を楽しめそうな気がする。

2013/01/06

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